2015年

- 001 窓-

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 今日もまた渋谷に行く。他に居場所などはないから。何時(いつ)もの廃屋みたいな雑居ビルに向かう途中で、厭(いや)な相手に遭った。
「また、街か。相変わらずだな。まったく、出来損ないめ。」
 親子ほども年の離れた兄貴、扇(せん)十郎だ。世界的企業、雅(みやび)エンタープライズを持つ雅家の当主。「雅家の出来損ない」は、俺・雅俊也のあだ名だ。
「生憎、24人目の家庭教師を叩き出しちまったところでね。」
 まるで俺に関わること自体徒労でしかないと云うようにウィンドウが閉められる。24人目の家庭教師の線の繊(ほそ)い、困ったような笑顔を思い起こす。
「俺にはあなたが判らない。雅家くらい、財力も影響力もあれば、きっと何だってできるんだ。あなたはチャンスをフイにしてるんだ。あなたは世界を変えられる力を持っているんだ。」
 よく喋る唇をキスで塞ぐと、家庭教師はあっけなく翌日から来なくなった。

          *

「トシヤ、俺、今日は3B地区に行ってみようと思うよ。」
 まるで母を尋ねて三千里のマルコみたいだから、マルコと呼ばれている少年が勢い込んで云った。
「やめとけよ。あの辺はヤバい臭いがする。」
 それは、子ども同士の勢力争いだった。渋谷の地区の陣取り合戦だった。ヤバい臭いと云うのは、大人のヤバい臭いのことだ。陣取り合戦は、子どもだけのものだ。大人のヤバい筋には、手を出さないのが鉄則だ。

          *

 シャワーを浴びに雅家に戻ると、庭師の弥治郎が声を掛けてきた。柔らかく響く関西訛りに、皺苦茶の頬。
「坊、家庭教師の先生、見えてはりましたよ。」
「25人目?」
「弥治郎の見たところ、あれは、24人目ですよ。お坊ちゃんっぽい。」
 弥治郎は、悪戯っぽく笑った。
「へえ。意外だな。明日も来たら、引き止めといてよ。」

          *

 雑居ビルに戻ってから読書をした。マルコが血塗れで雑居ビルに戻ってきたのは、夜も遅くになってからだった。俺はパスカルのパンセを読んでいた。
「マルコ! だから、やめとけって云ったんだ。」
「俺、死ぬのかなあ。何でこんなんなったのかなあ。陣取り合戦も居場所がほしかっただけなのにな。」
「俺だってそうさ。だけど、マルコ、死ぬなよ。」
「死にたくないな。トシヤ、お前って、実は大金持ちなんだろ? 何で俺らと一緒にいるの?」
「俺だって居場所なんか、ないんだよ。だから、死ぬなよ、マルコ。」
「はは。仕方ないよ、トシヤ。」
 ゲホッとマルコが咳き込んだ。血が吹き出した。それが、最後だった。

          *

 翌日、マルコを荼毘に付し、泥のように疲れて、雅家に戻ると、弥治郎が俺を呼び止めた。
「坊、引き止めといてんで。」
 弥治郎の小屋に行くと、家庭教師は照れ臭そうに俺を迎えた。
「逃げてしまったのかと思った。」
「やり甲斐がありそうだから。」
「やり甲斐?」
「世界を変える手伝い。」
「はは。本気でやる気? 俺、昨日、ダチに死なれたばかりで、世界を変えるどころか、世界に自分の居場所があるかさえ、あやふやなのに。俺は今、絶望しかかってるんだぜ? あんた、俺を救えるの?」
「知識はあなたを救って呉れる筈です。知識ならいくらだってあなたにあげられる。」
 家庭教師は気弱そうな貌(かお)に似合わない、存外に確信めいた口調で断言した。
「知識? 帝王学てヤツ?」
 俺はなにやら眩しくなって混ぜっ返したが、家庭教師は生真面目に首肯(うなず)いた。
「ええ、世界を動かすための力学です。知識は世界に自分の居場所を作るための窓になって呉れます。」
「はは。なんだか、泣けてきた……。」
 言葉どおり、泪で視界が霞んできた。家庭教師は、そんな俺に首肯(うなず)いてみせた。
 何時(いつ)か――……。
 何時(いつ)か、俺がその力学とやらを手にしたら、あまたの俺の、あまたのマルコの仇を取ってやる。
 俺はそう誓った――……。



(了)
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